🔲四端と五常🔲 ‥礼と仁、徳の真実と原理
孟子によれば、人の身体に四つの手足があるように,心のなかにも
❶惻隠(そくいん)(あわれみいたむ心),
❷羞悪(しゆうお)(悪を恥じ憎む心),
❸辞譲(譲りあう心),
❹是非(よしあしを見わける心)
の四つが本来的に備わっていて、
これら四つの芽生え(四端)をそれぞれに、
❶仁…私心を克服して礼を重んじること
❷義…利欲にとらわれずなすべきことをすること
❸礼…「仁」を具体的な行動として表したもの
→他者を敬い、感謝する心
❹智…道理をよく知り得ていて知識豊富な人
という完全な徳へと大切に育てあげねばならないといいます。
孟子の四端説における「仁義礼智」の四徳に対し、前漢の董仲舒(とうちゅうじょ)は五行説にもとづいて
❺信…友情に厚く、言明をたがえないこと、真実を告げること、約束を守ること、誠実であること。
を加えたのです。
そして、これが五徳あるいは五常と呼ばれるようになりました。
性善説を取った孟子は誰しも善の兆しである「四端の心」を持っているので、それを五常に育てるために、教育の必要性を強調し、特に「仁」を重要だと説きました。
それに対して、
「人の性は悪(弱きもの)なり、その善なるものは偽(人のためにことをなす)なり」[『荀子』性悪篇より]
そう説いた荀子(じゅんし)が最も重視したのが「礼」です。
荀子は、
人間の本性はこのように欲望的存在にすぎないが、後天的努力(すなわち学問を修めること)により公共善を知り、人間の本性は根本的に変えられないとしても、礼儀を正すことができる
として、性善説同様に、教育の重要性を説いたのです。
礼と仁。
互いに矛盾し、抗うような2つの徳ですが、実は仁を具体的行動に表す場合に必要な徳が礼だったのです。
なんだか深く納得してしまいます。
さらに、孟子、荀子両者が必要性を強調するのは教育ですが、本人からすれば、四端の「是非」を「智」に育てるには自ら積極的に勉強しようという、学びの姿勢が重要、ということになるのでしょう。
因みに四徳に信を加えた董 仲舒は、前漢の時代に、陰陽家の陰陽五行思想を儒家にとりこみ、天と人が陰陽五行によって感応するという天人相関説にもとづいて、
「意志をもった天が自然災害や異常現象を起こして人に忠告を与える」
という「災異説(さいいせつ)」を説いた人です。
陰陽五行思想というのは、四柱推命や漢方医療の考え方の基礎になるものです。
しかし、中国は、共産主義革命の思想弾圧・大量殺戮・大粛清によって、こういった素晴らしい思想を捨ててしまったのです。
今は中国人に「中国って儒教の国だよね!」などと言うと「へ?」と言う顔をされてしまいます。
「中国は儒教の国だから先進的な礼儀作法がある・・・と思ってたけれど?」
と思っていれば、全国でも、最も恥知らずとも言える礼節の乏しさは、毛沢東が儒学、仏法を否定し、文化大革命が理念なき暴力を肯定してしまった。
その結果、数千年全国で敬われ、愛された思想が、皮肉にもその思想の故郷である中国で跡形もなく破壊されてしまったのです。
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